tea3pm

クラフト系なんてなかったんや! 再始動しようかと考え中

たぶんくだらない話。

midashi001.jpg
うつ病になるのが ”当たり前だった”みたいな書き方を以前したのですが
そのことについて触れようかなと思ってます。
先に言っておくことは、”幼少期に起こる事象の過ごし方に由来する”ということ。

まずボクのことですが、年齢は40を過ぎたあたりです。
これが実は重要だったりします。
 
なんでか?ってそれはおいおい書いていきますが、
過去について語っていくところから始めようと思う。
 
ボクの家庭は現在をもって 母子2人のみの家族です。
厳密に言えば、父、母、ボク、妹の4人の家族ですが
父、母が離婚したことにより2人家族の構成になっています。
 
過去のことあまり昔のことは覚えていませんが
いまでも覚えていることがあります


3歳~6歳
すでに記憶がないんですが3歳の頃にはすでに父親はおらず、母と2人ぐらしでした
3歳の時は持ち家の1軒屋でしたが、
4歳のころに家を売り払ってぼろいアパートに引っ越しました。
 
なんでも母親の話しによれば、この時期に妹を身ごもり
病院で暮らしていた時期があったそうですが、その間に父がパチンコなどの賭博をして
金銭的な窮地に立たされたとかなんとか。

またある時同じ時期の話をすると、母が妹を身ごもり病院で暮らしていた時期に
父が浮気をしたことが発覚し、別れを決心したんだとかなんとか。
うちの母はなにかを聞くと毎回違った返答をよこしてくるので
真実はよくわかりません。

父に聞いたところ、「すまないね おとーさんが悪いんだよ」というだけで
理由は特に語ってはくれませんでした。
ただ言えることはこの時期、父母とともに行った遊園地での楽しい記憶と
持ち家からアパートに移るという悲しい出来事だけをしっかりと記憶しています。
 
 
6歳~7歳
父が帰ってきました。
どういった経緯かは知りませんが、また一緒に暮らすようになりました。
この時期 父と母が毎日のように喧嘩をしてたのをしっかり覚えている

父は温和な人で怒っているところをあまりみたことがありません
だからでしょうか?母親はそれはもう鬼のように怒り狂い
父に罵声を浴びせる姿は未だに思い出せる
 
逆に父は時間があれば一緒にキャッチボールをしてくれたり
自転車の乗り方を教えてくれる優しい面しか覚えていません。
 
この時期鮮明に残る記憶がある
遊園地に行ったのだけどボクは父にべったりでその後を母がついてくる
遊園地のフードコートで食事をしたのですけど
父は優しそうな顔でうどんをすすっている
おかしく笑う母の声がしてそっちを向くと・・・髪の長い鬼がいました。
そんな記憶です。
 
これは妄想かと思ったりもしましたが、その当時の写真があり、
2人で楽しそうにあるく父と子の後ろ姿や
なぜか”うどんをすすっている父の姿”の写真なんかもありました。
 
 
7歳~
父はまたいなくなってしまいました。
一度はよりを戻そうとしたんだと思いますが、
この時期に離婚をしたんだと思います。
 
当時は今ほど便利な世の中ではなかったので
父が月に一度家にやってきて母にお金を渡していきます
ボクはその時、父に会えるので嬉しくてたまらなかった。
 
なのに
母は毎回よくわからない怒りをみなぎらせ父を罵倒しはじめる
やめてほしいのに、嬉しい事なのに、父が来る日は嬉しいのに苦しい日々でした。
 
やがてボクは不登校になります。
家が貧困であったことや父がいないこと、
母親が怖くて子供ながらに相談事を一切しなかったこと
 
一番ひどかったのは
なにか”悪い事”をすると母親にホウキの棒で殴られるという虐待行為
おかげで学校に行っては”青あざ”が出来てひどい日には授業に出られず保健室通い。
(おそらく他の生徒への影響を考えてのことでしょう)
授業にでられても体育の時間は見学か保健室。
とくに夏場は肌の露出がふえるので保健室で1日を暮らす日も多かった。
 
”悪い事”がなんであったかはよくわからない
悪行でもしたのだろうか?それとも些細なことだったのか?
単純に母の気に入らないことだったのか?
そんな日々を送っていれば、他の生徒との仲も良いものになるはずもなく
いじめを受けることも多くなり、
中学1年生の終わりに学校へは行かなくなりました。
 
妹のこと。
 
妹は生まれてすぐに病気になった。
どこが悪いかボクは知らされたことがない。
ただ透明なガラスごしに、これまた透明なケースに入れられていた妹をみただけ。
 
最後に会ったのは、父が妹を引き取って、ボクが小学3年くらいのとき
やっぱり病院で同じようにガラス越しに妹をみた。
 
風のうわさによれば、病院を転々と移動して最後には大学病院に行ったらしい
そして父方の親戚から「中学2年生になったよ」とは聞いたものの
いまだに病院で暮らしていると聞いてたが、それ以上には聞くことはなかった
 
母に妹のことを尋ねると、恐ろしい顔で怒り出すので
ボクの中にいつからか”妹の事を聞いてはいけない”という
ルールみたいなものが出来ていた
 
だってあの日
 
夏の暑い夜
 
母に尋ねた
 
「妹はいまどうしてるの?」
 
母はボクの問いかけには答えず恐ろしい形相で
 
「あんな子、死んでしまえ・・・!」
 
そう口走った
 
その顔は、この世のものとは思えないほど歪んでいて
まさしくそれは ”鬼” だった
それ以来、母に対しての恐怖と不信感がつのり
いまでも母とはうまくいってない。
 

なんでこんな話をしたのか?って。
あなたは知っているでしょうか
幼少期に両親が喧嘩する姿を子供が見ると、とっても嫌なんだってことに。
あまりにも嫌すぎて子供の脳が変形してしまうこと。
 
これは世界でも有名な大学が発表した研究結果で
幼少期に親の喧嘩を体験すると、脳が萎縮し変形してしまうと言うことです。
それにより子供が成長する中、様々な悪い変化を起してしまう。ということ
 
たとえばー
子供は親を信頼することができず距離を置くようになります。
つまりは心を閉ざしてしまう
 
結婚願望がなくなり自分を大切には扱わないようになってしまい
自身の存在価値を見失うようになります。
また自殺願望が芽生えてくることもあるようです
 
人より多くのストレスを受け取ってしまい、人との付き合いが苦痛に変貌する
病名で言えば ”心的外傷後ストレス障害” と付き合うことになる
 
なんて言えばいいのかな?
脳が現状況やストレスに対応しきれず、成長の加速(急激に年をとる)をすることで
いろいろな事を敏感に感じ取ったり、
たくさんの事を一度に考えることができるようになったり
いいことな様な気がするけど
急激に成長を加速した脳は”それ”と引き換えに、多大なストレスをさらに抱え込み
結果として心が汚染されていく・・・みたいな?
 
で、ここに来てなぜ”うつ”なのか?
これはこういった過去を抱え ”心が正常ではない” 状態で生きてきてしまった人が
更年期を迎えると同時に、うつを発症する確率が倍増するからです。
これも先程申し上げた大学での研究論文による発表です。
 
確率だけ抜粋するなら
「こういった子どもたちが更年期時期にうつを発症する確率は70%を超える」
だそうです。
 
まぁ・・・逆に言えば「いままでよくうつを発症しなかったな」と
そっちのほうが驚きなんですけどねボク。
 
ボクとしてはこの世界のあらゆるモノがストレスに感じる
ストレスって誰でも受けてるよね?
 
同じ上司から同じだけ怒られたらストレスの量は同じですか?
ちがいます。
 
受け取る側の人間の感性によりストレスはより減少/肥大化するってこと
わからない人は結構多い。
 
今、一生懸命がんばっても
幼少期に受けた傷は塞がることがなく
いまをもってなお、両親によって心は傷つけられ
社会をもって心を蝕まれてゆく
今の現状のボクはそんな感じなのだろう。
 
がんばればがんばった分だけ、自分に大きなリスクを振り撒く心の病気
だからはボクは、会社を転々としてきた。
 
身を守るために仲の良い友人とは距離をおいてきた。
今なお苦しめられる苦痛
ずっと終わらない苦痛
ずっと限界だったんだと思う
30代をすぎたあたりから、自分が他の人とは違うって気づいてた
 
だって。
すごく仲がよい友人ができると妄想しちゃうんだよ
 
ーーーーどうやって殺したら楽しいかなーーーー
 
自然と笑みがこぼれる
 
まわりから急にニヤついて気持ち悪いやつだって言われる
ボクはそのうち人を殺すんだろうなぁ・・・なんて思ってた
狂気じみてるよね
 
なんでそうなったかはわからない。
けど、過去を振り返ってストレスの原因がわかって
すこしはスッキリできたものの
今後も今と変わらず苦痛を抱きながら生活していくしか無い
なんて苦しい人生なんだろう
 
やめましょう!書くのやめましょう!w
こんなコト書いてる事自体が”うつ”の典型ですね!
まぁ、そのうちこういうコトを書くのでしょうけど
今日はこのへんでやめておこう
 
ただひとつ言いたいことは
子供がすでにいるのならば、親同士の関係を良好にしてほしい
分かれるならパッと別れて。
付き合うならしっかり相手を見定めて。
もしあなたのもとに、まだ小さな子がいるなら
その子のことを考えてあげてください
ボクは言います。
ボクは不幸です。
でもそこにいる子供は、この苦しみの連鎖の檻に閉じこめようとしないでください。